<ウキの 000,00,0,Fの違いについての考察>

近年の磯釣りは以前とは違って、なかなか簡単に数多く釣れる、という機会がめっきり少なくなりました。

潮の変化でしょうか?魚が少なくなったのでしょうか?
それとも魚も学習して賢くなり、釣り人になんぞにはそうそう簡単に釣り上げられてはたまらない、とでも思っているのでしょうか?

釣り人は釣り人で、人間の最終兵器とでもいうべき “知恵” でまずは攻めようと試みています。
いや知恵ばかりか釣り具の進化や工夫、といった武器まで駆使して臨んでいるのです。

そこで最近の釣り具の中でも最もまぎらわしく悩まされるのが、ウキの残留浮力基準です。

00とか0などといった新しい規格の商品開発には、なかなか釣り辛くなった時代をいかに釣り易くするか、といったテーマを追求した結果に違いないのでしょうが、長年自作のウキを作ってきた私にとっても、何が何やらまぎらわしくて仕方ありません。

確かに最近のグレ釣りなどは、少し仕掛けの流れるコースが変わっただけで、少しサシエサの馴染む位置が変わっただけで、少しウキ下を変えてみるだけで、食ってくれるかどうかの分岐点となる事など当たり前となってしまいました。

仕掛けの馴染みはハリスとガン玉、仕掛けの流れ具合いは海面のウキと道糸の操作が大きなキーポイントです。
必要以上に海面に浮いているウキは仕掛けの流れるコースを変えてしまう一因となる事も多いのです。

そのため、誰にでも釣り易くするための方法として、ウキの残留浮力を抑えたウキである、0とか特に00といった規格のウキが開発されたに違いありません。

その昔(もう今から二十五年ほど前)私がウキを自作し始めた頃、海面丁度に浮くウキの規格なんてきちんとした決まりはありませんでした。
元々ウキの浮力といったものは、散弾銃の鉛の規格(B、BB,3B、SB、…)を利用して作ったガン玉の規格がそのままウキの浮力規格になったものなのですから、これは仕方ない事でした。

そこでBよりも残留浮力の少ないウキを、当時流行し始めた用語である“フカセ釣り”の頭文字を取って、私は勝手に“F”と名付けてしまいました。

私独自の“F”という規格は、Bのガン玉では沈んでしまうウキ、だったのです。

ハリスにガン玉を打たず自然にサシエを送り込んでゆくフカセ釣りのF、といった意味合いだったのですがー。

私の勝手な思いつきの規格は、その後結構広く知られるようになりましたが、当時の私でもF規格以外に海面丁度のギリギリに浮いているウキが出来た時などは、Fと区別するために“0”表示をしていた時期がありました。

そんな事情からFと0については、私自身の経験からも明確に区別できるのですが、00、さらには000、なんていう規格については実は今だに理解できないでいるのです。

“真水で沈んで、海水では浮いている”、なんていうキャッチフレーズやそういった規格は斬新かもしれませんが、それほどウキの規格を細分化する必要があるのかどうか疑問です。

―というのは、海水の塩分濃度による残留浮力の相違、ハリスを長く取るかどうか、サルカンやハリの号数による重量の加減、潮の動向、などなどによりウキの残留浮力は非常に大きな影響を常に受け続けているからなのです。

釣りは自然の状況や魚のその時の活性状態に合わせて、組み立て、進めてゆく遊びです。

超繊細な規格の用具もある時には必要なのかもしれませんが、それよりも何よりもその場の状況に応じて釣り手側が超繊細に工夫を行いながら用具を合わせてゆく、といったやり方の方が、より効率良く釣れるのですから。

ウキの残留浮力の微妙な調節加減なんて、現場でジンタンを追加するだけで簡単にできてしまいます。

細分化されたウキも結構でしょうが、そうしてそれはそれで先鋭なのかもしれませんが、裏を返せば応用が効かない場合が多いように感じて仕方ありません。
そのため状況が変化すればたちまちその変化に乗り遅れてしまう場合だって起りかねません。

長年に渡ってウキを作り続け、そうしてこれからも作ってゆこうと思っている私の一番のこだわりはウキなのですが、どうも00なんて規格には馴染めそうにありません。

もしかして細分化された規格は釣り人を釣ってやろう、といった規格に感じられて仕方ないのですが、あなたはもしかして釣られるタイプなんでしょうか、それとも購入しようかどうかと迷っているタイプなんでしょうか?
あるいはウキの力だけに頼ろうとしているタイプなんでしょうか?

余談ですが00はともかくとして、0からBまで、BからBBまで、…それぞれの階級の間には最大でB程度の浮力の幅があるのです。そんな間の幅を狙った規格のウキはまだできていませんね。

ところで散弾のBの重さとそれ以外に出回っているBの重り、じつは重さにかなりの差があるのをご存知でしょうか?

こんな事を追求して行けば、釣りの用具は結局はたまねぎの皮を剥くようなもので、いくら熱心にたまねぎの皮を剥いてみても、最後には徒労しか残らないのにねえ。