2001年5月12日 「闘魂エッセイ 第2回」


<これからの釣りは、釣り場の情報の分析が最重要課題です。>


情報化社会だと言われるようになって随分久しくなりました。

釣りの世界もご多聞に漏れず、釣況や釣果などの詳細な情報の伝達速度やその量は以前とは比べものにならないくらいに、驚くほどになりました。

情報を頼りに釣り場の選択をしている人が多いのは昔から当たり前の事実であり、現実なのですが、問題はその情報の中身なのです。

たとえばその一つにこのような例が上げられます。
何年もその釣り場に精通し、何度も何度も通い慣れた人がたまに釣った、という情報かどうかという点については、残念ながら釣果云々だけの情報からは伝わりにくいものです。
また大勢が出かけていって、その内の一部の人や一部のある特定磯だけの釣果ならば、大半の人はボーズだった、といった判断もできるのです。

ある断片的な情報が、それがすべてだと考える釣り人特有のうがったプラス思考は、ともすれば情報のうわべだけに、結局は釣り人が釣られてしまう、という結果にもなりかねません。

ーという観点から考えてみれば、時として情報は釣り人の足かせになってしまいます。

それではかつての経験を頼りに、この時期のこの釣り場へ出かければ釣果については絶対に間違いはない、などと自信満々で出かけて行ったとしても、“こんなはずじゃない。こんな事は初めて味わう経験だ、” などといって、納得できないままにボーズで帰って来ることも、最近ではそれこそしょっちゅう味わう時代になったのです。

過去の経験というそれまで絶対的だった物差しの尺度も大きな狂いを生ずる時代になり、情報を上手に捕まえたつもりが逆に情報に振り回されれば、釣り人も少しは工夫をするようになるはずなのですが、残念ながら釣り人という人種は、粘り強いというか、打たれ強いというか、私をも含めて、なかなか懲りない種類の人間ではあることは確かなようです。

その反面、ある意味での開拓精神が旺盛なのか、釣れても釣れなくても、けれどももしも釣れれば誰よりも早くその恩恵を得ることができる、という欲張りで人に抜きん出ることに優越感を感じる気持ちをも合わせ持っているのですから、これはもう始末が悪いというか、それとも敬意を表してリッパ、リッパ、だというしかありません。

けれどもそんな事が何度か続き、何度も何度もボーズを味わうようになれば、釣りの面白さなどというのは自然に色褪せてしまい、ちょうどパチンコで負け続けた人がその内パチンコ屋へは足を運ばなくなるのと同様に、釣り人も次第に釣り場から遠ざかってしまうことになってしまいます。

そこで問題は、釣りに出かけようとする前に、魚と出会える確率の高い釣り場を選択するにはどうしたら良いか、という事になるのですが、これはやはり情報の収集とそれをいかに正確に分析し把握するか、という事にかかっている、と思います。

釣り人個人個人の今まで以上の情報の収集力と分析力が、そうしてそれに伴う判断力が必要とされる時代になったのです。


【このページは第2回です】