2001年5月13日 「闘魂エッセイ 第3回」


<釣り場の情報は、継続して釣れているかどうか、が重要です。>

近年のグレ釣りは、特に釣果のムラが激しくなりました。

“昨日はよく釣れたのに。” とは釣り場でよく聞かされる言葉です。
もちろん事前に “好調だ。” というニュースを聞いて出かけたはずなのに、二度ならずも三度も同じ目に遭ってしまえば、誰だっていくら自分の出かけない日に釣れたと聞かされても疑ってしまうのは仕方ありません。

多くの磯があり、シーズンであれば連日多くの釣り人が押しかける釣り場では、いくら釣況が芳しくない状況であろうとも、誰かがたまには釣っているものです。そんな時には、それこそ釣れない中での釣果というものが、実は非常に大きな情報となってクローズアップして伝わる可能性があります。

そんな情報に釣られて出かける釣り人は、実はたまったものではありませんが、結構情報に釣られて出かけてしまうのが、釣り人の持つ、素朴で微笑ましい習性なのかもしれません。

重要なのは、継続して釣れ続けているかどうか、という事であって、断片的な情報や、平面的な情報が、その内に立体的な情報となるまで待つことです。

はやる気持ちを抑えきれずに出かけて行って、情報を提供する立場にまわる、という方法は、以前であれば結構通用したものですが、この情報化時代にはもうなかなかそんなチャンスに巡り会える機会はウンと少なくなりました。

やはりそれだけ全体の釣況が悪くなった、としか説明ができないのですが、最近の私を含めてまわりの釣友達のボーズ、ボーズ、だと嘆き落胆している大合唱を聞けば、釣りの世界も今や大きな曲がり角に直面している、と感じざるを得ないのです。

釣りは釣れてはじめて釣りなのです。
もちろん釣れなくても釣りを楽しむことはできるのですが、釣れた時の楽しみを求めてすべての釣り人は釣り場に出かけているのですから。


【このページは第3回です】