2001年5月15日 「闘魂エッセイ 第5回」


<魚釣りは、魚の立場になって考える事が必要です。>

釣り人はどちらかといえば、わがままで自分勝手(?)な人種です。

たとえば、自信満々に、“食わせてやる。” だとか、“自分の腕で釣ったんだ。”とかいった言葉の切れ端からも、自己顕示欲と自己主張を押し出そうといった気持ちが、ひんぱんに見え隠れしています。

魚釣りでは釣り人が絶対的な主役であって、釣れた魚などはすべて自分の意志で思いどうりに事が運んだ “ただのモノ” に過ぎないような感覚の持ち主が多いのには本当に閉口してしまいます。

まあ当人にとってみれば、たまに(?)釣れたのですから、そういった錯覚の歓びを一時的に味わい、たまには自分自身に酔いしれてみるのも、釣り人の持っているお愛敬(?)の一つなのでしょうがー。

けれども人間社会と同様、釣りという遊びも相手は違えど自然や魚との連携プレーの中で始めて成り立つ遊びなのですから、そこには当然ながら自然に対する気使いや、魚に対する気使いを怠っていては、とてもコンスタントな釣果を得ることはできません。

自然を味方につける、魚に好かれるような釣りを行う、そんなちょっとした気使いを身に付ければ、結構魚の方から釣り人に向かって微笑んでくれる筈なのですが、なかなか魚の立場になって考える、魚の立場(その習性などを含めて)を理解しようとするような釣りの工夫を行う、というようになるまでには相当な時間が必要とされるようです。

いや魚や自然ばかりか、時には釣行先の船頭さんにも好かれる、そんな釣り人になれば、釣れる確率はウンと高くなるという事実、これはぜひ覚えておいて欲しいものです。

魚を釣りたければ、まずは船頭さんを釣りなさい、とは魚釣りのまずは第一歩なのですから。


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