2001年5月18日 「闘魂エッセイ 第7回」


<痛い目に遭わないと、釣り人も工夫を怠ります。>


小さい子どもが始めて自転車に乗ろうとする時に、何度か転んでその痛さを覚え、何とか転ばないように、痛さを味あわないような工夫をしながら、その内に自転車の漕ぎ方を覚えるのと同様に、釣り人の工夫の最初は、実はそんなところから始まります。

何度何度もウキは海面の中へ入るのに、あるいはアタリはひんぱんに出るのに針掛かりしない。釣っている当人からすれば、いらいらする瞬間です。

それは仕掛けの問題で、ウキ下が合っていないのか、あるいは使用しているハリスや針の選択ミスなのか、ウキの浮力の影響なのか、ガン玉かもしれないし、いったい何が原因なのだろう。それともマキエの量の撒き加減やポイントのずれなのか、などなどといろいろと思案をさせられてしまいます。

せっかく釣り場へ出かけ、念願の魚との出会いの一歩手前で、なかなかこちらの思ったようには魚は釣れてくれない。けれども確実に魚は自分の仕掛けを通じてコミュニケーションをとろうとしている、となればこれはもう釣っている当人にとっては、はがゆくて仕方のない瞬間です。

あるいは、何度も何度も出かけていってはボーズ、ボーズの連続で、けれども同行の人は必ず魚と出会っている、などなどの時にも、辛い想いをいつしか嫌応うなしに自然と味あわされるものです。

ある時には、並んで釣っている横の人が快調に竿を曲げっぱなしで、それでいて自分には全く釣れない。もうする事といったら、横の人を羨ましげに眺める事だけ、なんて事になれば、もうこれは何とかしなければと、それまで以上の工夫が始まり、と同時に発奮させられます。

釣りの工夫のきっかけのスタートは、単純そのものです。

もっともっと釣りたい、といった釣り人の欲望がより良い工夫を生み出す場合も多いのですが、痛い目に沢山遭えば遭うほどに、もう痛い目には遭いたくないためには、ーと、釣り人の工夫もより大きなものになってくるのです。

そうして釣りから得られる楽しさも、それまで以上のより大きなものになります。

私の知っているテスター仲間の中で、痛い目に遭わなかった人など一人もいないのです。
いやむしろ一般の釣り人の何倍もの挫折や悔しさを味わった結果でその存在感を維持している、といっても過言ではないくらいなのですから。

叩かれれば叩かれるほどに、鋼のように強く逞しくなってゆくタイプと、叩かれれば叩かれるほどに挫折してしまうタイプ、さてさてあなたはどちらのタイプをえらぶんでしょう?


【このページは第7回です】