2001年5月24日 「闘魂エッセイ 第13回」


<釣れる時間は短く、釣れない時間は長いものです。>


魚釣りに出かけ、一番楽しさを感じ、一番釣り人を元気にさせてくれるのは、お目当ての魚を狙って釣れた後の、出逢いのその瞬間、です。

かつてのように出かけるたびにクーラー満タン、などという現実は、最近ではもう夢のようになりましたが、それでも懲りずに出かけ続けていれば、その内の一度や二度は、ずっしりとクーラーが重くなります。

全体の釣果は、もはや往年とは比べものにならないくらいに減少し、何度出かけて行っても、けれどもその見返りとしては、釣れない回数の方がウンと多くなりました。

魚釣りの世界でも、日本の現在の経済と同じように、どうやらバブルが弾けたようです。

けれども、魚釣りをしていて、いくら良く釣れた時代であれ、それこそ一日中、竿出しから納竿まで釣れ続く、などという事は、当然ながら滅多にありませんでした。

いつの時代でも、“釣れる時合い” といったものは、そうそう長くは続かないのが “世の常、世の掟” 、いやいや “釣りの世界の当然の常識、釣りの世界の非情で厳しい掟” 、なのです。

釣り人にとってのゴールデンタイムは常に短く、むしろ釣れない時間の方が長く続きます。

ところが釣れる時合いが少しばかり長引けば、 “こんな魚はいつでも釣れるんだ。” とばかりに、釣り人特有(?)の変な自信というか、妙な安心感で、それまでの釣りから少しばかり “釣りのトーンダウン” が始まります。

少し休憩したり、自分の釣った魚に酔いしれていたり、などなどすれば、時合いというものは、こちらの都合どうりにはゆかない性格を持っているために、たちまちまたまた、それまでの釣れない時間が始まってしまいます。

そうなってからではもう後の祭りです。

魚は釣り人に、決してそれまでのようにニコニコと微笑んでくれようとはしません。

悪い事はいつまでもそうそう長くは続かないものですが、ーと同時に、良い事も長くは続かないものなのです。いやむしろ、良い事の方が、アッという間に過ぎ去ってしまう場合が多いのです。

今まで人生を頑張って生き抜いて来た人が、何年かして振り返った後にようやくその事に気付いた、といった人が多いのは、一般世間でよく言われている事ですが、私の釣り人生でもその事に本当に気付くまでには、多くの経験と多くの時間が必要でした。

せっかくの時合いが到来した時は、これは釣り人にとっての自然から与えられた “ビッグチャンス” なのです。

煙草などでちょっと一服しよう、もうこれだけ釣ったんだから少しの休憩を、などとうろうろしている暇はありません。

チャンスはできる限り逃がさないようにする、これも釣りの重要な秘訣のひとつなのです。


【このページは第13回です】