2001年5月28日 「闘魂エッセイ 第17回」


<釣りは出かけるまでの時間が、一番楽しいのです。>


子供のころ、遠足に出かける前日には、何故かそわそわと落ち着かず、また何故かわくわくとして、なかなか眠れなかった事を覚えています。

遠足に対する期待感、といったものを子供なりに感じていたのでしょうが、未だ見ぬ風景、未だ体験できない翌日の楽しさに対する期待感、といったものが子供の心を捉えて離さなかったのでしょう。

子供の頃のそんな感情は、丁度釣りに出かける前の気持ちにも似ています。

もう何百回、何千回と釣り場へ出かけている私でも、やはり釣行日前日になると、もう嬉しくて、わくわくとして、今なお自分がはっきりとした理由もわからないままに、何故か、いつしか気持ちは自然と弾んでしまいます。

それに反して、期待が強ければ強いほど、裏切られるその度合いも強いんだ、という事も、もうこれまでに何度味あわされたことかしれません。

そうしてそんな事は百も承知しているつもりです。
いや、今までに百回どころかおそらくは、千回以上も経験しているでしょう。

−が、裏切られても、裏切られても、いくら落胆して釣り場から帰って来ようとも、懲りもせず、今なお、まだ期待を捨てようせずに向かってゆこうとしています。

人間の感情は、どうやら自分の理性といったものにはあまり左右されずに、常に自分の都合の良い方向に向かって、自然とまっしぐらに一直線に進もう、進もう、とするのですから、いったいこれは何なんでしょう?

それは決して私だけの事なんかじゃあなく、どうも、どうやら私の釣友達のすべてもそうみたいなのですから、恐れ入ってしまいます。

釣り場目指して車を走らせている時、途中で食事や休憩をとる時、などなどのちょっとした仕種の中にもそれは感じ取れますが、その時の釣友のそれぞれのお互いの表情といったら、それはもうまるで “天使の微笑み” のようになっているのですから、これはもう理屈なしに釣りという遊びは、釣り人に、まずは無条件に楽しい時間を提供してくれているのでしょう。

釣りを行う事ももちろん面白いし、釣り場での釣りから釣り人に多くの楽しさを与えてくれている事も多いのですが、多分釣り場へ向かっている時の、釣り場で磯上がりするまでの、そうして釣りを行おうとする時までの、換言するなら、目標に向かって挑戦している時のその前までの時間が、実はその人にとっての一番かけがえのない時間なのでしょう。

もしかして、これも釣りの持っている大きな魔力の一つ、なのかもしれませんねえ。


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