2001年6月02日 「闘魂エッセイ 第22回」


<釣りの上達度合いは、習い事と同じです。>


巷には、釣りに関係した雑誌やビデオがたくさん溢れています。
情報化社会の洪水は、当然ながら釣りの世界にも押し寄せてきています。

かく言う私も、その片棒をほんの少し担いでいる立場なのですが、ところで少し水を差すようですが、いくら釣りのハウツウ書をたくさん読んでも、いくら釣り名人のビデオを擦り切れるほど鑑賞しても、残念ながらそれによって自分の釣りの技術が大幅に躍進する、などという事はあまりないようです。

料理書を読めば、料理番組を熱心に見れば、それですべての人が名人と同じ味の料理を作れるようになるか、といえば、実はそうではないんですねえ。
同じ材料で、同じ手順で、同じ要領で作った料理、出来上がったものを食べてみても、それは毎回味が違う、そこで、何でだろう?、と悩んでしまう、そんな現実をいったいどう説明すればよいのでしょう?

料理も釣りと同じように、どうも一朝一夕には上達しないもののようです。
ところがある日ある時、釣り人の持っている向上心がより芽生え、勉強しよう、今よりももっともっと上手になろう、といった意欲が湧き上がり、さてさてその掴まりどころ、それっていったい何処にあるんでしょう?

そこでまずは一番手っ取り速い方法が、まずは情報や知識を仕入れる事から始まるのが一般的には常套手段。
努力はどんな形であれ、少しは報われるもの。情熱も向上心を推す原動力。

それじゃあ、とばかりに釣り雑誌を読み漁り、ビデオに熱心に見入る。
けれどもなかなか情報を提供する側と、情報を受け取る側の、本音を言ってしまえば、いくら歩み寄ろうとしても、どうしても溝を埋める事のできない大きな問題が生じてしまいます。

決して釣りの情報を提供する側が、出し惜しみをしている訳ではありませんし、名人と呼ばれてる釣りの達人達も決してそうではないはず、なのですが、やはり釣りは現場へ出かけて行って、自分の体全体で覚えなければいけない事が多すぎるから、だと思えるのです。

さてさてその解決方法の一端は、いったい何処にあるんでしょう?
ところがこれが実は、至極簡単なところにあったのです。

いきなりの結論から言ってしまえば、昔から、“百聞は一見にしかず” 、などと言われるように、まずは上手な釣り人を探し出し、一緒に出かける事が一番手っ取り速い方法です。

習い事は師匠の一挙一動(合間をおかず、一度で物事が行われるさま。)をまずは見て、そうして真似ることから始まります。
ところが残念ながらビデオは、断片シーンの繋ぎ合わせなんですねえ。

我田引水で申し訳ないのですが、各メーカーのテスターの中でも徳島県在住の釣り師が非常に多い、といった現実、それは古くから周りに釣り上手な人がゴマンといた、という事実は否めません。

釣りもある種の習い事の遊びです。であれば上手な釣り人といかに知り合えるかどうか、で釣りの上達速度というものは大きく変わってしまいます。

釣りの上達のためのキーポイントのその本質は、実は習い事だった、という事でもあったんですねえ。


【このページは第22回です】