2001年6月03日 「闘魂エッセイ 第23回」


<ガンバレ、磯釣り師(その1)。>


誰だって、負ける事は好きではありません。
誰だって、悔しい想いなんぞしたくはありません。

そんな事を考えてかどうか、最近の小学校などでは、徒競走の順番をつける事を嫌っている学校が増えているそうです。

“ヨーイドン”の合図と共に、それぞれの子供が、それぞれのペースで走り、一番でもビリでも関係なく、それぞれがそれぞれに自分の自己満足(?)で走り切る、といったルール。

かつての、頑張れば頑張ったものだけにご褒美が与えられる、といった時代からすれば、えらい変わりようです。

時代が豊かになり、食べるモノにも困らなくなり、そうすれば当面のすることがなくなって、人間のお互いの思いやりでも大切にしようか、といった時代へと変わってきたのでしょうか?

けれども残念ながら、磯釣りの世界は今もなお、釣り人と魚との、ある種の知恵比べの、 “弱肉強食” 、換言するなら、熱い “闘いの世界” が続いています。

勝ち負けにはそれほど関心がなくとも、 “闘いの世界” においては、常に悔しい、とか、あるいは嬉しい、とかいったような感情が繰り返されるものです。

最近の小学校の徒競走のようなルールで、 “みんな楽しく!”、 なんていうのは、残念(?)ながら、磯釣りにはどうやら全く通用しないようです。

釣り人からの挑戦は、自然や海、さらには魚からの挑戦でもあるのです。
その間に在る “溝” に挑もうとした時には、当然ながら、魚との闘いを余儀なくされるばかりか、その結果として、その溝の中には、決して楽しい夢ばかりじゃあなく、時には挫折や失望がわんさと待ち受けていたりもします。

ーが、それでも何故、いったい何が楽しくて、性懲りもなく磯へ出かけるのでしょう?

日和には裏切られ、潮にも裏切られ、なかなか思うように魚は釣れてくれない場合がほとんどです。

ある時には “おこずかい” というには多過ぎる大金を使い(?)、大切な時間を削り、ある時には傍から見れば無茶とも思えるような、夜討ち朝駆けで一睡もせずに目指す釣り場へ出かけます。

釣りの見返りから得られる確実な保証なんて、これっぽっちもない場合が多いのに、です。


【このページは第23回です】