2001年6月05日 「闘魂エッセイ 第25回」


<すべての生き物には、学習能力があるのです。(その1)>


我が家には、もう10年以上も棲み着いている、一匹の飼い猫がいます。
猫派と犬派、私はそのどちらでもありませんが、長年飼っていれば不思議と愛着も湧き、結構可愛いものです。

毎日の私の晩酌時には、どんなところにいようが、すぐに側へ駆け寄ってくるのは、決して猫に非常に好かれている訳でもなく、当然ながら私の酒の肴目当て、以外の何物でもないのです。

猫にそんな行動をとらせるのは、私の酒の肴を毎日毎日気前良く与えている、ということが一番の大きな理由で、二番目には決まっているその時間帯に対する反応なのでしょうが、動物の学習能力、換言するなら、食べ物に対するその反応の速さには、いつもの事ながら、本当に感心してしまいます。

ーで、好物であるカツオ節やスルメのその匂いを嗅ぎ分ける能力にしても、それらの食べ物に反応する能力といったら、我々人間にはとても及びつかないほどなのです。

けれども、それは猫や他の動物にとっては当たり前の事なのかもしれません。

我々人間のように、好きな時に好きなものを、好きなように食べれる訳でもなく、ましてや自分で食べものをつくれる訳でもなく、人間以外の動物というのは、自然の流れの中で、常に生きようとするためだけに、獲物を追っかけ、探しまわっているのですから。(大昔の原始人の時代には、人間もそうでしたね。)

もしかして生きようとする活力の源の、それを、“生活”、というんでしょうか?

ーだとすれば、変な理屈かもしれませんが、釣り人の “生活” 、といったものは、どうも、魚との出逢いの前の、針に刺したエサを、まずは魚に食べて貰うような工夫をするところ辺りから始まるようですね。

この続きは、明日へー


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