2001年6月06日 「闘魂エッセイ 第26回」


<すべての生き物には、学習能力があるのです。(その2)>


(ー昨日からの続きですー)

ところで、魚も猫と同じような類の生き物、といっていいでしょう。

そこで、魚が大好物で、いわば魚の天敵のような存在である猫からふっとそんな事を感じた私は、ある日、好物のエサを与えながら、少し猫の反応を見ようと試みました。

いつものように安心してエサを与え、それに何の疑いもなく食べていた猫に、今度は食べようと口を開けた瞬間に、好物のエサをすぐさま口から引き離す、といった少しの意地悪を試みます。

何度か繰り返す内に、とうとうおしまいには大好物のエサでさえも、食べようとする意欲や意志が、これが不思議なことに、まったくなくなるんですねえ。

その直後の行動にも確実に変化が生じ、今までのように与えても、今までどうりに下へ置いてやっても、じーっと眺めているだけで、いくらお腹が空いていたとしても、こちらの反応を見ながらも、しばらくは食べようとはしないんですねえ。

何か様子が変だ、と感づいているのでしょうか?
私に対して警戒感や敵対心を持っているんでしょうか?
いやいやそうではなくて、ただ単にイジけてスネているだけなんでしょうか?

こちらとしては、ほんのおふざけだけだったので、そのうちに、“もうそんなに警戒しなくてもー”、とは感じてしまうのですが、猫がご機嫌(?)を取り戻すには、こちらの思惑にはまったく左右されずに、どうやらしばらくの時間が必要なようです。

けれども、とにかくこういった猫の反応には、猫の嫌がることをこちらから仕掛けていったにも関わらず、そうしてこちらが無邪気な動物を、人間の勝手さと我がままさ加減でもて遊んでいるのにも関わらず、その後、、何故か感心(?)させられてしまうから不思議なものです。

猫にとっては、自分のこれから生きてゆこうとしている、いわば生命に関わる(?)食べ物です。
食べる事に関してだけは、いくら安心しきっている家庭の中でさえも、 “命をかけた闘いの本能” 、といったものが、剥き出しになって現れるのでしょう。

“もう食べても絶対に大丈夫だ!” 、と安心できるまでは、大事にされている筈の飼い猫でさえも、決して無理を押して食べようとはしないこの事実と現実。

いつも可愛がっている飼い猫でさえそうなのですから、ましてや海の魚にとっては、どんな人が、どんな思いで、どんな魂胆を持って、マキエサを撒いてくれているのか、などなどをまったく知る由なんぞなくとも、いきなり突然に天から降って湧いたような御馳走に対するその警戒心、といったものは相当なものに違いありません。

この続きは、明日へー


【このページは第26回です】