2001年6月07日 「闘魂エッセイ 第27回」


<すべての生き物には、学習能力があるのです。(その3)>


(ー昨日からの続きですー)

ところで余談ですが、最初にオキアミが出始めた頃、撒けども撒けども、魚はあまり反応を示しませんでした。

それまでの自分の体験や経験を通じて培ってきた、いわば過去からの学習してきた結果としての、それまで貯えている能力から大きくはみ出している出来事に対しては、むやみやたらとそうそう簡単に飛びつく訳にはゆかない、とでも思っていたのでしょうか?

これは決して魚の世界ばかりじゃあなく、人間社会にでも、新しいものは頭からまったく受け入れようとしない、といった超慎重派、なんて人もいるようですが、??あれれ!−少し脱線しかかっているようですね。

話を本筋に戻して、それまで食べたことのないモノについては、いくら食欲をそそられても、けれども簡単に、疑いもなしに即座に飛びついて、食べる訳にはゆかなかったのでしょう。

時代が進み、多くの釣り人が、連日にわたって同じ磯に、毎日毎日オキアミを撒き続けます。

すると、それほど警戒心を持たない、我々釣り人が “エサ取り” 、と呼んで邪魔者扱いにしている小魚から真っ先に集まったり、冒険心や開拓精神の旺盛な魚、あるいは己の本能の欲するままに行動するいわば “欲張り魚” 、またある時などは自殺行為も厭わないような “決死隊” 、などなどの魚が勇敢(?)にも食べ始めます。

その様子を興味深々と眺めていた周りの魚も、“これはもう安心して食べても大丈夫だ。” 、と思ったのかどうか。

もう今や磯上がりの途端に、小魚が集まり、 “早くエサを撒いてくれー!”、と時には向こうからせがまれるような状況も多くなりました。

これは私の家の飼い猫と、条件こそ違えど、まったく同じ状況です。

ある決まった時間に、ある決まった場所で、エサを貰うべくして待っている、こういった動物や魚の学習能力は、まずは我々人間にとっては至極単純な出来事で、そういった魚の様子はすぐにも理解できる行動で、そうしてその対応にも即座に応じられるものだ、といった勘違いの想い込みをしてしまいます。

ところが、動物の学習能力の高さは、少し踏み込んで理解をしようとすれば、決してそんな単純なことばかりではなかったんですねえ。

この続きは、明日へー


【このページは第27回です】