2001年6月08日 「闘魂エッセイ 第28回」


<すべての生き物には、学習能力があるのです。(その4)>


(ー昨日からの続きですー)

釣り人には釣り人独自の考えの、魚をとにかく何とかして釣ってやろう、といった “生活”、があります。
その反対に、釣り人にとって魚が釣れなければ、これはもう釣り人にとっての “死活” 、問題です。

ところが、魚には魚の生きようとする活力の源の “生活” 、があるのです。

さて魚釣りでは、釣り人は、魚に針の付いたエサを食べて貰うような努力を行うところからスタートします。

ところが魚は魚で、もしも針の付いたエサを何の警戒もなしに食べたなら、もう自分の命の保証はありません。
魚にとっては致命的になってしまいます。

釣り人にとっては “てがら” 、になるのでしょうが、魚にとってはそれこそ一巻の終わり、ご臨終、絶命、そうして、なんまい陀仏、なのです。

食べたいけれども、生きるために、究極は生き延びようとするためだけに食べる、という生き物に共通した絶対的な大原則は、いくら魚は知能指数が低い生物だ、といってみたところで、魚の頭の中、いや体の奥底の中、にも当然ながら在るのです。
そうしてそれこそが、動物が生きる、生き抜いてゆく、という事への証なのですから。

いくら釣り人が撒いたエサに魚が集まり、何の警戒心もなさそうに無邪気に、そうして美味しそうに食べてくれてはいても、いざ狙った魚を釣ろう、と思った時に、何匹かは釣り人の術中に旨い具合いには入ったとしても、その内にいつしか釣り人の予期できないところで、その他の個体にはたちどころに感づかれてしまい、海の中にはすぐに “釣り人大警戒警報”(?) 、といったものが発令されてしまいます。

そうとも知らない釣り人は、得意満々になって、相変わらず同じ事の繰り返し。
もう状況は一変している、というのに、です。

こんな経験は、釣り人すべてが、一度や二度どころではないほどに味わって来た、と思われるのですが、さてさていったいいかがなんでしょう?

人間には人間にしか持ちえない能力がありますが、ーと同様に、魚には魚にしか持ち得ない能力があります。
人間には人間にしか持ち得ない本能がありますが、魚にもそれはまた然り、なのです。

学習する、といった能力や本能も、当然ながら両者の間で異なる場合が多いのは、埋めることのできない、大きくて深い深い溝なのかもしれません。

けれども、生き物の、それぞれが持っている学習能力の違いの偉大さと面白さを、認識しようとするための知恵比べ、魚釣りの面白さのその根底に流れているものは、実はこれだったんですね。

魚の偉大な学習能力、バンザーイ!、
そうして釣り人の、そんな魚に負けない学習能力を磨こうとしている釣り人にも、バンザーイ!

ーで、魚釣りという遊びの本質は、どうやら魚という生き物を、まずは理解しようとするところから始まっているようですね。

ーこのエッセイは、4回になりました。ー(おわり)


【このページは第28回です】