2001年6月09日 「闘魂エッセイ 第29回」



邱永漢(きゅう えいかん)氏の著書から、釣りの一節のご紹介>


今回は、私が尊敬し敬愛しているなかの一人、邱永漢(きゅう えいかん)氏の数多い著書の中から、釣りに関した一節をご紹介します。

以下の内容は、邱さん流の、商売やお金や生き方の基本的な原則を、「釣りの基本原則」 にたとえて書かれた内容なのですが、少し釣りに自信を持ち始めた人などは、特に、もしかして “ドキッ” とするんではないでしょうか?


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私はよく、自分の本を人に差し上げるときに、「お金儲けのうまい人とは、お金の儲かる商売を見つけることがうまい人のことである」と本の扉などに書く事があります。

一見何でもないようなことのように思えるかもしれませんが、じつは、この儲かる商売、儲かる仕事を見つけるということは、自分の仕事や商売を作り上げていくために、とても大事なことです。

世間では、「どんな仕事でも一生懸命努力すればうまくいく」と思っている人が多すぎるようです。そのためについ、見込みのないことに打ち込み、失敗する人があとをたちません。

このことは魚釣りにたとえれば、一目瞭然です。

海釣りであれ渓流釣りであれ、釣り人というのは、これはと思う穴場を目指して朝早くから出掛け、日がな一日釣り糸を垂れて、思い通りの成果が上がれば得意満面だし、なければ、家族に夕飯のおかずは任せておけなどと言った手前、ひそかにマーケットに寄って、などと苦心しながら釣りの生活を楽しんでいます。

そういう人の釣り方に水を差すわけではないのですが、どうしたら釣りが上達するかといえば、その鍵は釣りの技術よりも魚の居場所を探し出すことにあります。

つまり、いくら釣りの技術、竿や糸や針の扱いにたけていても、魚の通り道にいって待ち構えていなければ、魚は釣れるものではありません。

では、どうしたら魚のいるところがわかるのかといえば、それは、経験的にわかるとか、勘が働くということでしょう。

どこにいけば魚がいるかわかっていれば、少々怠け者でも、お粗末な釣り竿しか持っていなくても、魚は釣れます。

魚のいる場所も知らずに朝早くから行って、いくら努力しても、後からのんびり来て、魚のいる場所を知っている人にはかなわないのです。

しかも、魚の通り道というのは、いつも同じとは限りません。
むしろしょちゅう変わっていると言ったほうがいいでしょう。ですから、魚のいなくなった釣り場で、必死に竿を繰り出しても無駄ということになります。

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<中略>
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人生を釣りにたとえるならば、小手先の技術や用具に腐心するよりも、自分の探している魚がどこにいるかをまず見極める目を持つことが、釣り上手、ひいては生き方上手ということになります。


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「生き方の原則」<(株)ごま書房>(1996年2月29日 初版第一刷発行)
注!トップページのエッセイからの一部引用です。

ところで明日で、私のHPを作ろうと考えてから、はや丸3年を向かえようとしています。
6月初旬に思い立ち、僅か10日あまりで立ち上げ、独断と偏見と自己顕示欲に満ち溢れた人間としてとりあえずはスタートさせたページだったのですが、にもかかわらず、その間には多くのアクセスや励ましのメールをたくさんいただき、本当にありがとうございました。
もう感謝、感謝!!です。
ーで、3周年の記念として、今回は私のしょうもない(?)エッセイよりも、もっともっと物事の真理や真実をズバッと言い当てている、邱永漢(きゅう えいかん)氏のエッセイの一部をご紹介させていただいた次第なのです。