徳島県吉野川のアユ釣り '00.8ー9月



夏はやっぱりアユ釣りです。

ーなどとはいうものの、ここ5年ほどは、アユ釣りに対する情熱を失なっています。

それまでは、狂ったような “友釣り師” だったのですがー。(かつては雑誌のグラビアにも、結構出させていただいていたのですヨ。)

夏が来れば、寝ても醒めても、アユ、アユ、アユ、の生活が15年ほども続きました。
けれどもその後は、友人に誘われるままに、年に数回程度の釣行になってしまいました。

ある時期は数釣りに、またある時期には大物狙いにと、それこそ夢中になっていろんな川を走り回ったものでした。

けれども数が釣れなくなり、大物も姿を消し始めた途端に、もういけません。
かつての情熱は消え失せ、いつしか友釣りに魅力を感じなくなってしまっていたのです。

ところが今年はそんな私にも、そこそこのアユが釣れ始めました。そればかりか、掛かってくるアユのアタリの、強烈な事

やはり釣りは釣れてこそ、次の釣りへの情熱が湧きあがる遊びだったのです。

いや釣果云々ばかりか、釣れるまでのその過程の楽しさや悔しさも、実は大きく左右していたのでしょう。


例年の如く、8月中旬過ぎに、今年初めてのアユ釣りのスタートです。

場所は吉野川
高田さん、重本さん、林雅芳さん、三橋君の総勢5人が揃った釣行でした。

ここ数年の私は “ぐうたらアユ釣り師”

けれども、遅れてやって来た重ちゃんがデジカメを持って来た途端、それまで全くダメだった私に偶然の3〜4匹連続の入れ掛かり。
上のスナップなのですが、自分の要領の良さには全く恐れ入ってしまいます


今年のアユ釣りのデビュー戦は、何とか二ケタでスタートしました。

その数日後から、またまたアユ釣りへのお誘いがかかり始めます。
お誘いの主は、今年はアユ釣りへの執念を異常に剥き出し(?)にしている高田さん

場所は吉野川中流域の貞光です。
先日の釣行で、少しアユ釣りのカンが戻ってきました。場所も良かったのでしょう。何と先日の倍以上の釣果です。

一匹掛かるたびごとに、お隣りで釣っている高田さんを刺激するように、「ほれ掛かった!」 −と大声で “激” を飛ばします。

相手の迷惑を帰り見ない釣り人は、釣果云々よりも、アユのアタリの強烈さと、ゆっくりとした時間が流れてゆくその心地良さも手伝ってか、久し振りに楽しく、わがままな時間を過ごしています。

重ちゃん曰く「回りのアユがみんな逃げてしまう。」 ほどに大声を張り上げて、一人ではしゃいでいるのですから全く困った釣り人です。まるで、川の “騒音魔” へと変身していたのです。

以前は黙々と、そうして獲物を追う鷹(それほどカッコ良いものではないかも?)のような釣り人からの、大きな変身です。


<膝までしかない場所。座っているのです。>

ごらんのように座りっぱなしで、一日石になったように怠惰な格好で釣っている姿。
けれども口だけは元気です。

仕掛けは5年前のモノ。ハナカンなどはもちろんノンワンタッチ。場所は変わろうともせず、掛かり針などは一つで10匹くらいまでは変えません。(仕掛けを作る情熱がまだまだ湧いてこないからです。)
また、たとえオトリが弱ろうとも、元気なアユをピンチヒッターでは使いません。一匹必殺(そんな格好のよいものではないのですが)の気持ちで、掛かるまでいつまでもだらだらと泳がせています。

そんな私を見かねて、「薄墨はん、もうオトリ変えたら。」 ーと優しいアドバイスを送ってくれる高田さん。
ありがたいなあ、と思いながらも、「まあその内掛かるけん。」 −と意固地になっている私に対する彼の呆れた表情

以前のようなガツガツとしていた自分から、いったいどうした事なんでしょう。

そのため、あまり数も釣れないばかりか、せっかく追ってきた野アユが外れてしまう、オトリアユと掛かった野アユがさよならのセットバラシ、掛け針だけがプッツン、などなどのトラブルが続出です。オトリの交換(弱ってきたオトリアユを元気なオトリに交換する事。)も釣果に多大な影響を与えます。
ーで、それらの事は、私も一応わかってはいるのですがー。

ーが、変なこだわりを持った釣りも、時には非常に面白いものです。

苦労してやっと掛かったアユが、仕掛けの不具合のせいで二匹とも “さよなら” した時のその悲痛な思いといったら、もう地獄に落ちてしまったような落胆感を味わいます。
また、時にはアユが掛からなくて一時間以上苦しみ、我慢と辛抱の連続で、辛い時間が容赦なしに流れてゆきます
何が楽しくて、こんな悲痛で面白くもない釣りを行わなければならないのか、と自問自答もしてしまいます。

けれども、けれども、なのです。その後にやっと掛かった時の嬉しさは、もう格別
釣りの楽しさは、実はこんなところにも在ったのです。

たくさん釣れるのも勿論楽しいのですが、楽しさの度合いからいえば、痛い目に遭って、そうしてその逆境から脱出するその楽しさ、これはもう何ものにも代え難い嬉しさを感じるものなのです。

全く変な釣り人になってしまいましたが、少し釣りの楽しみ方が変わっただけに過ぎません。
アユ釣りは相変わらずの “ぐうたら釣り師” なのですが、何故か今年は変な楽しみ方を覚えたものです。


そんな現在の私とは対照的に、重ちゃんは熱血釣り師です。高田さんも情熱一杯で釣っています。


<重ちゃんです。その向こうが高田さん。>

怠惰な釣りを行なっている私が、時折大声を張り上げて、はしゃぎながら釣っているのとは全く正反対。

そんな彼らには信じられない事かもしれませんが、私もかつてはそうでした。
人間集中すれば黙々となるのです。けれども現在ではそんな二人を茶化しながら、川の中で大声を張り上げて一人叫んでいる “かつての筋金入り(?)のアユ釣り師”。
本当に友達には、感謝、感謝、です。(でも、彼らの腹の中では怒っているんでしょうか?少し心配です。

それにしても今年の吉野川、アユのその数といったらもうウジャウジャです。またそのアタリの強さはまるで “尾長グレ”
強烈にいきなり “ガツン” とくるからたまりません。かつてのアユ釣りの面白さや興奮が、私の中で蘇って来そうです。

ーで、結局のところ、釣りは何も釣果だけではなかったのです。

ガツン” のいきなりの一発、本当に興奮してしまいます。それでバラそうものなら、ますます悔しさで熱くなってしまいます。トラブルの続出は次回の工夫へと繋がってゆきます。それら全ての刺激が、実は次の釣りの情熱へと変わってゆくのでしょう。

釣りという遊びは、釣り人が普段意識しないような部分でも、不思議な魔力を、また大いなる魅力を秘めていたのです。

たくさん釣りたいという欲望感何匹釣ったという満足感それらを味わうのも釣りの楽しさなのですが、決してそれだけではない、というのを感じた事は、今年のアユ釣りでの、私にとっての大きな収穫でした。


9月10日“闘魂会” の喰い川(河原での食事会)です。

そのレポートの詳細は、“重ちゃんのHP” (左をクリックすれば新しいウインドウが開きます。)をごらんください。

20人ほどが集まり、午前中のアユ釣りから食事の始まるお昼過ぎには、急遽飲み会(?)への転換です。
私のアユ釣りも今日でいつしか6回目を数えてしまいましたが、午前中の私は何故か絶好調。今日もビールが、どうやら美味しくいただけそうです。(喰い川の段取りをしてくれた、林雅芳さん、林基志さん、どうも、どうも。)

いつも川で非常にお世話になっている地元のプロのアユ釣り師Kさんを始めとした地元のカンドリ舟軍団OさんSさんも快く参加してくれました。

今年のアユ釣りで場所を教えていただいたり、天然の元気はつらつでピチピチとしたオトリを用意してくださったり、と非常にお世話になっているカンドリ舟軍団。釣っている途中にも、コーヒーを何度いただいた事やら。

中でもKさんの気使いには、本当に頭が下がる思いで一杯です。

“ぐうたら釣り師” は甘えてばかりなのですが、楽しく愉快な釣り人の皆さんと出会えた事も、今年のアユ釣りのもう一つの大きな収穫でした。

釣りの楽しみは、実は見知らぬ釣り人との出逢いにもあったのです。

さあ! 今年のアユ釣りの残された日は少なくなってきましたが、まだまだ私は吉野川での “アユフィーバー!” 、が続きそうです。うししし!