薄墨 賢二が皆さんからの
ヨロズ相談にお答えします



第8回

「水中のハリスの状態の見分け方」 について?


はじめまして。今回はじめてメールさせていただきます。

私は、大阪に住むサラリーマンで、Tといいます。磯釣りに興味をもって
8年ほどになります。

薄墨さんの闘魂ウキも5つ程ですがもっております。
しかし、まだまだウキと対話できるほどに上達しておりません(笑)。

何とか釣りが上手くなりたいと思って自分なりに釣行を繰り返していますが、
少しでも上手くなったなと自分で思える何かを未だにつかめていません。

釣り雑誌やネット上での名人の記事を読むと、いつも「ふ〜ん、そうなのか!」
と思うのですが、実際に釣りに行くと、「やっぱりよくわからないなぁ〜」っと
いつも思ってしまいます。

それはどうしてなのかなぁっと考えてみるのですが、結局こういうことではないかと思いました。

それは、フカセ釣りでよく言われるのが、「誘い」、「張り」、「撒餌とサシエの同調」
などなどですが、これらを私は一緒にして考えてました。

ですから、「誘いや張り」と「同調」とは相反することであるのにこれらを
全部いっぺんに行うのがいい結果につながると勘違いしてました。

でも、結局釣りというのは、魚のいる場所に餌をもっていけばほぼ間違いなく釣れるし、
そうできないときは、ほぼ間違いなく釣れないということが分かってきました。

要するに、「誘いが大事である」というのは、その状況において「誘い」をかけたが、
それがたまたま上手く行って魚が釣れただけ、また、「張りが大事である」というのは、
その状況において「張り」を作ったが、それがたまたま上手く行って魚が釣れただけ、なんですね。

はっきりとした根拠なんて何にもないのですね。

そう思えるのは、どの名人も、「誘いをかけろ」とはいうものの、
それでは実際に水の中でハリスやサシエをどのようにすることが「誘いをかける」ことなのか
はっきりと言っておられません。

ただ単純に誘いをかけろとか、張りを作れとか、ハリスの角度を一定に保て、
などとおっしゃっているだけです。

私(私に限らないと思いますが)は、たとえばハリスの角度を一定に保て、と言われても、
それじゃ、一体どうやってハリスを一定に保つのか、それが分かりません。

徳島の名人の中には、「そんなことは実際にできるものではない。
とにかく魚のそばに餌をもっていくことが大事なんだ。

とにかく、魚をよく見ること。見えないときは仕方がないから、あれやこれやと理屈を言うが、
実際は、あなたも私もやっていることは同じです。」と言う方もおられました。

「あ〜、なんだ!」と思いました(笑)。

わたしも、サシエが針についているかどうかは、おぼろげに分かるようになりました
(完璧ではありませんが・・・)。

もう少し注意深く釣りをすることによって、ハリスの状態もわかるようになるのでは・・・
と思っていますが、実際はどうなんでしょうか?

薄墨さんは、水中のハリスの状態がわかりますか?

分かるのであれば、どうやってそれを見分けるのかを教えてもらえないでしょうか?
 
釣りって、ほんとに楽しいですね。

海のこと、魚のこと、ホントはみんなほとんど知らないのに、いや、ほとんど知らない人ばかり
だから何でもかんでも言い放題(笑)。釣ったもの勝ちって感じです。

ハリスの話しもそうですね。

56pのグレをハリス1.5号で釣ったことが名人技!!っと称えられるかと思えば、
児島玲子さんのようにハリス2号で61pのグレをあっさりとつり上げてしまうこともあります
・・・釣りって、夢がありますよね。 

とりとめのない話です。でも、闘魂ウキは好きです。

使っていてなぜか釣れそうな気がします(実際にはそれほど釣ってませんが・・・)。
これからも、ずっと釣りを楽しみたいと思います。

それでは、失礼します。
 


薄墨賢二からのA(答え)


結論から申し上げますと、釣りはあまり難しく考えるモノではありません。

ご指摘のように、釣りにおいては、「誘い」、「張り」、「撒き餌とサシエの同調」、
などなどといかにも難しそうな熟語が多く使われ、そうして、こうでなれれば、ああでなければ、
などなどと、もっともらしく(?)言われております。

釣りというのは、針に刺したエサ(サシエ)をいかに魚に食べて貰えるか、
という単純明解な部分からスタートしています。

そうしてそのためには、どうすればよいのか? 、といった事が釣りの原点なのです。

その過程での釣りを行っている内に、当然ながら経験に裏打ちされた理論が出来上がってきます。
けれどそれは理論であって、理屈じゃあないんですね。

釣りには理屈が多すぎます。それも後付けのー。
だから本来は単純で簡単だったはずの釣りが、難しくなるんです。

また勉強される側も、はやく上手になりたい一心でいろいろ勉強されて、
けれども、理論を理屈として捉えると、これはかえって逆効果になります。

基本はサシエを魚に食べて貰えるように工夫を行う事、からスタートしているのです。

そのためにはマキエを撒いて魚に集まって貰い、その中へサシエを入れて、まんまと針の付いた
サシエを食ってくれれば、すべて良し、なのですから。

サシエを食った魚が食い逃げされないためには、ハリスからウキまでにたるみがあれば、
当然ながらアタリの信号はにぶくなります。

その間に違和感を感じた魚は、サシエを吐き出して逃げてしまう可能性があります。
そのためには海中へ沈んで見えなくなったサシエでも、絶えず注意を怠らないようにして、
見張っておく必要があります。

そのための方法としては、常に自分のサシエがどのあたりにあるか、といった事を考えながら
釣りを行う事です。何処にあるか、なんて事は最初は判らないものですがー。

けれども不思議なことに、常にそうした意識を持って釣りを行っていると、
その内に次第に判るようになるものなんですね。

もしも判らなければ、釣りの途中で仕掛けのウキを引いてやれば、
その延長線上の下で間違いなくサシエが引かれているのですから。

ーと同時に重要な事は、仕掛けを上げる場合に、ウキから下の仕掛けから針までがどのあたりの、
どの角度から上がってくるか、といった事も絶えず観察しておく事です。

ハリスの潮の馴染み具合いで、時によってはサシエは思わぬ場所へ流れている場合もあるから、
です。

釣りを行う事を、難しく考えるか、それとも簡単だ、と考えるかはそれぞれの問題ですが、
私は簡単だ、と考えています。

難しいのは、潮の動きであったり、魚のそれぞれの習性であったり、
その時々の魚の就餌状態であったり、そうして魚が就餌するヒットポイントの見極めであったり、
と考えているのですが、いかがでしょう?

私は、釣りの主役は一番には自然、二番には魚、釣り人なんて三番目、と思っています。

釣り人が主役になりたいと思ったり、主役になろうなんて気になれば、それこそそれぞれが
勝手にいろいろとしゃべり始め、それぞれにとっても、ロクな事がありません。

ぜひともこういった認識で、あまり深く、そうして難しく考えず、
今まで以上に、釣りを楽しんでくれる事を期待しております。

最後に苦言を呈すようですが、

“でも、結局釣りというのは、魚のいる場所に餌をもっていけばほぼ間違いなく釣れる”

と書かれてありましたが、“ほぼ間違いなく釣れる” といった事については、
私はまったくそうは思いません。

魚がいなければ釣る事は不可能でしょうが、魚がいるのと、釣り上げる事ができる魚とは
まったく別の問題なのです。

魚をそれほど侮ってはいけません。

狙った魚の習性を理解するように努め、そのすべてを認める事からスタートする、
のが釣りの出発点なのです。

釣りの基本認識は、まずはここから始まっているのですから。

あくまで基本を大切にしていただきたい、と思っております。